大御所歌手の森新一との間に3人の子どもに恵まれた森昌子。離婚して10年以上経ちますが、超スパルタ子育てだったことが話題になってましたね。

あまりに厳しすぎる!と一部批判の声もあったようですが、3人の子どもは立派に成長してますから、子育ては結果オーライなら良しだと思います。

ただ、厳しい子育ては時として子どもの心を傷つけるだけになってしまうことがあります。なぜ森昌子はスパルタ子育てに出移行したのか、その陰には夫としての森新一の素顔が見え隠れしているようです。

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【何が批判の的になったのか】

森昌子が歌手の森新一と結婚したのは1986年のことでした。超ビッグカップルとしてかなり話題にもなりました。

二人の間には3人の息子が誕生しました。

長男の森内貴寛(森新一の本名は森内一寛)はロックバンドONE OK ROCKのボーカルTakaとして、次男の森内智寛はテレビ東京の社員として、三男の森内寛樹は長兄に倣ったのかロックバンドMY FIRST STORYのボーカルとしてそれぞれ活躍しています。

しかし森昌子と森新一は2005年に結婚生活に終止符を打ちます。この夫婦、10歳以上の年の差がありましたし、森新一は歌手としての大先輩でもありましたから、結婚はしたけれど対等な夫婦という感じではなかったかも知れんなと思いますね。

最近の森昌子は地方の小さな体育館のステージに立ったりして、マイペースに歌うことを楽しんで仕事をしているように見えます。子どもの手が離れてあとは自分の時間だーって感じで謳歌してるんでしょう。

さて、そんな森昌子がテレビで披露した3人の息子たちに対するスパルタ子育てが話題になりました。

・兄弟間であっても弟は兄に対して敬語をつかうこと
 ・門限を破ったらセコムで締め出して絶対入れない
 ・子どもを呼ぶときは1番2番と番号で呼ぶ
 ・18歳になったら強制的に自立

この中で一番批判の的になったのは子どもを番号で呼ぶというところだったろうと思います。森昌子も囚人みたいと自分で笑ってましたが、基本名前を呼ぶのが面倒という理由で番号で呼んでいたとのことでした。

確かに、囚人みたいに番号で呼ぶのは子どもの人権を無視してるみたいで不愉快に感じる人が出てきても仕方がないところはあると思います。

子育てってのは何が正解というのがあってないようなものです。よそではOKでもそれぞれの家庭環境ってものがありますから、うちの子で上手くいくとは限らない。ま、森昌子のところは、当の子どもたちが囚人みたいな扱いだと感じなかったのでしょう。それぞれの子どもたちとも現在もうまくやっているようです。

【厳しくても上手くいった理由】

スパルタ子育てというのは往々にして子どもが盛大に反発して家の中が戦争状態になりやすいです。理由は親が頭ごなしに押し付けてくることの理不尽さに子どもが我慢ならん!と思うことがもっぱらではないかと思いますが、森昌子のところはそういうことはなかったようです。

兄弟間での敬語とか門限破りに対してむちゃくちゃ厳しいとか子どもからすると反発したくなる要素満載だと思いますが、なぜ森昌子はうまくやれたのか。

1つは、子どもが全員男の子だということがありそうです。

子どもが男の子ばかりの核家族では、家の中の女性は母親だけということになります。こういう環境の母親は息子たちに大事にされることが多いように思います。もし森内家に女の子が一人でも混ざっていたら、もしかしたらスパルタ子育ては成功しなかったかもしれません。

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【離婚と子育て】

森昌子と森新一の超ビッグカップルの破綻について、森昌子は夫婦で続けてきたジョイントコンサートと家庭との両立が難しくなったことを理由に挙げました。

歌い手として完璧な状態でステージに立つためにはそれ相応の準備がありますが、家を守り子育てをしながらステージに立つことは森昌子にとってかなりの緊張とストレスになったようで、一時はパニック障害を発症したといわれます。

ぷり子
パニック障害が出るほどのストレスを森新一はきちんと理解してあげたんだろうか

tum子
理解してたら森昌子が家を出るようなことにはならんかったでしょうな

2005年2月、森昌子は薬の大量服用で緊急搬送されます。自殺未遂説も流れましたが、当時不眠を訴えて近くの婦人科から処方されていた薬を飲みすぎたということだったようです。

この時、森新一はゴルフの予定があるからと入院中の森昌子を1日で家に連れ戻してしまったそうです。このことからも、いかに森新一が家庭でワンマンな振る舞いをしていたかが伺われます。子どものことも含めて家のことは全部森昌子に丸投げして完璧さを求め、さらにステージ上でも完璧を求められたらパンクしちゃいますよね…。

その後森昌子は下の子二人を連れて家を出て(長男はすでに独立していた)離婚に至るわけですが、その時長男の貴寛が「お母さんのことはオレが必ず守るから」と言ったそうです。泣かせますな。

この言葉の中にも森新一のワンマンぶりが透けて見えます。「守る」なんて言葉は平和な家庭からは出てこないでしょ。

スパルタ子育てが成功したもう1つの理由、それはきっと、子どもたちはじっと我慢して耐えている母親を見ていたからではないのかなと。父親が暗に母子共通の敵のような存在だった可能性もあります。

3人の息子の名前には父親の本名から『寛』の一文字が使われています。森昌子が息子たちを番号で呼んでいた背景には、この『寛』の一文字に対するひっかかりがあったのかも知れませんね。

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森昌子批判もあるスパルタ子育ての成功に見える離婚した夫の森新一の素顔とはhttps://i1.wp.com/yonimaji.net/wp-content/uploads/2017/07/morimasako2.jpg?fit=500%2C311https://i1.wp.com/yonimaji.net/wp-content/uploads/2017/07/morimasako2.jpg?resize=150%2C150アイーダ人物森昌子,離婚
大御所歌手の森新一との間に3人の子どもに恵まれた森昌子。離婚して10年以上経ちますが、超スパルタ子育てだったことが話題になってましたね。 あまりに厳しすぎる!と一部批判の声もあったようですが、3人の子どもは立派に成長してますから、子育ては結果オーライなら良しだと思います。 ただ、厳しい子育ては時として子どもの心を傷つけるだけになってしまうことがあります。なぜ森昌子はスパルタ子育てに出移行したのか、その陰には夫としての森新一の素顔が見え隠れしているようです。 スポンサードリンク 【何が批判の的になったのか】 森昌子が歌手の森新一と結婚したのは1986年のことでした。超ビッグカップルとしてかなり話題にもなりました。 二人の間には3人の息子が誕生しました。 長男の森内貴寛(森新一の本名は森内一寛)はロックバンドONE OK ROCKのボーカルTakaとして、次男の森内智寛はテレビ東京の社員として、三男の森内寛樹は長兄に倣ったのかロックバンドMY FIRST STORYのボーカルとしてそれぞれ活躍しています。 しかし森昌子と森新一は2005年に結婚生活に終止符を打ちます。この夫婦、10歳以上の年の差がありましたし、森新一は歌手としての大先輩でもありましたから、結婚はしたけれど対等な夫婦という感じではなかったかも知れんなと思いますね。 最近の森昌子は地方の小さな体育館のステージに立ったりして、マイペースに歌うことを楽しんで仕事をしているように見えます。子どもの手が離れてあとは自分の時間だーって感じで謳歌してるんでしょう。 さて、そんな森昌子がテレビで披露した3人の息子たちに対するスパルタ子育てが話題になりました。 ・兄弟間であっても弟は兄に対して敬語をつかうこと  ・門限を破ったらセコムで締め出して絶対入れない  ・子どもを呼ぶときは1番2番と番号で呼ぶ  ・18歳になったら強制的に自立 この中で一番批判の的になったのは子どもを番号で呼ぶというところだったろうと思います。森昌子も囚人みたいと自分で笑ってましたが、基本名前を呼ぶのが面倒という理由で番号で呼んでいたとのことでした。 確かに、囚人みたいに番号で呼ぶのは子どもの人権を無視してるみたいで不愉快に感じる人が出てきても仕方がないところはあると思います。 子育てってのは何が正解というのがあってないようなものです。よそではOKでもそれぞれの家庭環境ってものがありますから、うちの子で上手くいくとは限らない。ま、森昌子のところは、当の子どもたちが囚人みたいな扱いだと感じなかったのでしょう。それぞれの子どもたちとも現在もうまくやっているようです。 【厳しくても上手くいった理由】 スパルタ子育てというのは往々にして子どもが盛大に反発して家の中が戦争状態になりやすいです。理由は親が頭ごなしに押し付けてくることの理不尽さに子どもが我慢ならん!と思うことがもっぱらではないかと思いますが、森昌子のところはそういうことはなかったようです。 兄弟間での敬語とか門限破りに対してむちゃくちゃ厳しいとか子どもからすると反発したくなる要素満載だと思いますが、なぜ森昌子はうまくやれたのか。 1つは、子どもが全員男の子だということがありそうです。 子どもが男の子ばかりの核家族では、家の中の女性は母親だけということになります。こういう環境の母親は息子たちに大事にされることが多いように思います。もし森内家に女の子が一人でも混ざっていたら、もしかしたらスパルタ子育ては成功しなかったかもしれません。 スポンサードリンク 【離婚と子育て】 森昌子と森新一の超ビッグカップルの破綻について、森昌子は夫婦で続けてきたジョイントコンサートと家庭との両立が難しくなったことを理由に挙げました。 歌い手として完璧な状態でステージに立つためにはそれ相応の準備がありますが、家を守り子育てをしながらステージに立つことは森昌子にとってかなりの緊張とストレスになったようで、一時はパニック障害を発症したといわれます。 2005年2月、森昌子は薬の大量服用で緊急搬送されます。自殺未遂説も流れましたが、当時不眠を訴えて近くの婦人科から処方されていた薬を飲みすぎたということだったようです。 この時、森新一はゴルフの予定があるからと入院中の森昌子を1日で家に連れ戻してしまったそうです。このことからも、いかに森新一が家庭でワンマンな振る舞いをしていたかが伺われます。子どものことも含めて家のことは全部森昌子に丸投げして完璧さを求め、さらにステージ上でも完璧を求められたらパンクしちゃいますよね…。 その後森昌子は下の子二人を連れて家を出て(長男はすでに独立していた)離婚に至るわけですが、その時長男の貴寛が「お母さんのことはオレが必ず守るから」と言ったそうです。泣かせますな。 この言葉の中にも森新一のワンマンぶりが透けて見えます。「守る」なんて言葉は平和な家庭からは出てこないでしょ。 スパルタ子育てが成功したもう1つの理由、それはきっと、子どもたちはじっと我慢して耐えている母親を見ていたからではないのかなと。父親が暗に母子共通の敵のような存在だった可能性もあります。 3人の息子の名前には父親の本名から『寛』の一文字が使われています。森昌子が息子たちを番号で呼んでいた背景には、この『寛』の一文字に対するひっかかりがあったのかも知れませんね。 スポンサードリンク