林葉直子

彗星のごとく現れたスーパー中学生藤井聡太4段のお陰で将棋がブームになってますが、その影響か、1980~90年代はじめ頃にマルチな才能を持つ美人女流棋士としてアイドル的な人気を博していた林葉直子のあれもこれもやりつくした感のある波乱万丈すぎる人生も注目されているようです。

中原誠十六世名人とのどろどろ不倫で世間を騒がせた林葉直子でしたが、なんであんなにどろどろになっちゃったのでしょう。肝硬変で先は長くないからと『遺言 最後の食卓』を著わしましたが現在の容態は?

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【林葉直子の現在は】

かつて美人女流棋士として鳴らした林葉直子が久しぶりにメディアに登場した時、あまりの変ぼうぶりに驚きました。

林葉直子

やせ細った身体なのにお腹だけはふっくらして見えて腹水が溜まっているようでした。もはや魔女か死神かという容貌です。毎年夏休み時期になると帰国してくる野沢直子が病的な部分を増幅したみたいな感じ。

いろいろあった反動での深酒がたたってほとんど肝不全と言ってもいいくらいの肝硬変で、いつ死んでもおかしくないといわれたとのことでした。

2~3年前のこの姿の頃が体調最悪MAXだったようで、飲酒をやめて健康的な食生活に変えた結果、現在はかちかちだった肝臓が柔らかくなってきて、検査の数値も安定してきているということです。

2014年2月に遺言 最後の食卓という闘病生活を記した本を出版していますが、こんなになっちゃった我が身を嘆くでもなくこれまでの人生を淡々と回顧してますから、どこか中村うさぎの開き直り方に通じるものを感じますね。

【若い頃の林葉直子がやったこと】

林葉直子 1968年1月24日福岡市生まれ 現在49歳の元女流棋士です。

11歳で女流アマ名人戦に優勝、小学校在学中に米長邦雄永世棋聖の家に住み込みで弟子入りし、1980年にプロ入り。その後1982年、当時14歳で初タイトルの女流王将となり以後女流王将10連覇の果たしました。女流棋士は絶対数が少なかったというのもありますが、セオリー無視の指し手で勝ち上がる林葉直子を無双の天才と称する人もいたようです。

現在人気の藤井聡太4段が志村けんを知ってるかと尋ねられて「歴史上の人物ですか?」と言ったエピソードがあります。幼い頃から頭角を現す天才棋士というのは世間の俗事には目もくれず、ひたすら将棋道を極めようと突き進んでこそなのかと思いたくなりますが、林葉直子は藤井4段とは真逆のところにありました。

林葉直子

林葉直子はシャープな美人だったことで1980年代後半ごろにはテレビ番組に度々出演して将棋アイドルなどともてはやされるようになりました。アイドルと言ってもにこにこ可愛い顔してるだけのアイドルではなくて、言いたいことをずけずけ言う人だったように思います。

その頃ティーンズ小説がブームになっていました。林葉直子は「試しに書いてみたら書けちゃった」ととんでもポリスシリーズをはじめとするティーンズ小説を量産し、漫画の原作を書き、ドラマに出演したりもしてました。この頃、「ほら私ってたいていのことが出来ちゃう人だからぁ」と世間の女子から総スカンを食いそうなことをさらっと言ってのけていた記憶があります。

ぷり子
女性から反感買う才能もすごかったよね

tum子
なまじ美人だから余計にムカつくしね

ただ、小説を書き始めた頃の林葉直子は、肝心の将棋の方では連戦連勝という感じではなかったようです。小説書いちゃった♪と言っているとき、「勝てなくなったから作家に転身するんですか?」という質問が飛んでいたことを覚えています。

才能豊な人ではありましたが、エキセントリックな面のほうがクローズアップされがちなところはあります

その後1994年に「サイババに会いに行く」と言って予定された対局をドタキャン。その後心身ともに疲れたと休養に入りますが翌年の8月に師匠である米長邦夫将棋連盟会長によって追われるように将棋連盟を退会。退会と時を同じくして何を思ったかヘアヌード写真集を出版し、1998年に将棋の中原誠十六世名人とのどろどろ不倫が発覚…というか、自己リークして世間は大騒ぎになります。

そのほかにも2000~2001年頃に豊胸手術を受けてみたり、飲食店を経営するも失敗したり、タロット占い師になってみたり娘の稼ぎを当て込んだ父親が1億2000万円の借金をしたまま亡くなり自己破産などなど…。

やれることはほぼやった感じですが、結婚には縁がなく(というか、女房もちに惹かれる傾向があるらしい)、不倫相手との間に出来た子どもを産まなかったことに若干の後悔があるようです。

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【不倫がどろどろになったわけ】

波乱万丈てんこ盛りの林葉直子の人生で、最も人々の記憶に残ってしまったのは中原誠十六世名人との不倫でしょう

最近になって神吉宏充7段が「自分が林葉直子と中原名人を引き合わせたキューピッド役だった」と告白してましたが、もともと林葉直子は師匠である米長邦雄永世棋聖の最大のライバルでもあった中原名人のファンでした。

神吉7段によると、3人で食事をして林葉直子は中原名人と神吉7段の3人で食事をして、「また3人で会いましょうね~」と言っていたのですが、神吉7段の目の及ばないところで猛アタックをかけていたようです。

数年に及んだ将棋界の不倫関係でしたが、最後は中原名人が半ばストーカー化して「これから林葉邸に突撃しまーす」「お前なんかエイズでも何でもなって死ねばいいんだ!」といった暴言を遺した留守電音声がリークされたことで終焉しました。

未婚女子と既婚男子の不倫は、「なんで奥さんと別れてくれないの!」的泥沼の方が割合としては多いと思いますが、林葉直子の場合は女房もち側が入れ込んでオカシクなったパターンだったようですね。

この音声が公開されてしまったことで中原名人の元に取材陣がおしかけました。中原名人は取材を拒否するでもなく自宅の庭に記者さん達を招きいれ、不倫の事実をあっさり認めました。将棋の名人になるような人の価値観ってどうなってるんだ?と当時話題になったと記憶します。

中原名人はなぜストーカー化するほど林葉直子に入れ揚げてしまったのでしょうか。

具体的な答えはわかりません。ただ、林葉直子の写真集を一度だけ見たことがありますが、写真から匂いがただよってきそうな生々しさがありましたし、現役棋士だった頃から性欲が旺盛だと言ってたことから、中原名人が性的に溺れてしまったんだろうことが推測されます。

一方の林葉直子はそういう中原名人に嫌気が差して別れたくなったけれど、中原名人が執着しまくってこじれた、という図式だったのでしょう。

中原名人と林葉直子は親子ほど年が離れていましたから、不倫は悪いがこのケースはどっちかと言えば中原名人に非があるように思いますが、中原名人はとくにお咎めなし。

1995年に林葉直子が将棋連盟を退会せざるを得なくなった理由として、表向きは対局ドタキャンが大きな原因とされていますが、大変な艶福家(平たく言うと女好き)として知られた師匠の米長永世棋聖がいずれ自分の愛人にと思っていた林葉直子がライバルと不倫をしたことが気に入らなくてクビを切ったそうな、という噂もありました。

若い頃の美人ぶりと病に倒れて老婆のごとくになってしまった姿の落差をみると、本当に同じ人間のビフォーアフターなんだろうかと思ってしまいますが、ジブリ映画に出てくる妖怪みたいなひふみんこと加藤一二三9段がプロデビュー時には紅顔の美少年だったを思うと、人間ってこんなもんかも知れんとも思います。

少しずつ体調が回復してきているという林葉直子。体調が戻ればまた深酒生活に戻るんじゃないかという心配もあるようですが、くれぐれもお大事に、と言いたいですね。

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林葉直子余命わずかと言われた元将棋アイドルの中原誠との不倫がどろどろになったわけhttps://i0.wp.com/yonimaji.net/wp-content/uploads/2017/07/hayasibanaoko4.jpg?fit=500%2C329https://i0.wp.com/yonimaji.net/wp-content/uploads/2017/07/hayasibanaoko4.jpg?resize=150%2C150アイーダお大事に人物不倫,将棋,林葉直子
彗星のごとく現れたスーパー中学生藤井聡太4段のお陰で将棋がブームになってますが、その影響か、1980~90年代はじめ頃にマルチな才能を持つ美人女流棋士としてアイドル的な人気を博していた林葉直子のあれもこれもやりつくした感のある波乱万丈すぎる人生も注目されているようです。 中原誠十六世名人とのどろどろ不倫で世間を騒がせた林葉直子でしたが、なんであんなにどろどろになっちゃったのでしょう。肝硬変で先は長くないからと『遺言 最後の食卓』を著わしましたが現在の容態は? スポンサードリンク 【林葉直子の現在は】 かつて美人女流棋士として鳴らした林葉直子が久しぶりにメディアに登場した時、あまりの変ぼうぶりに驚きました。 やせ細った身体なのにお腹だけはふっくらして見えて腹水が溜まっているようでした。もはや魔女か死神かという容貌です。毎年夏休み時期になると帰国してくる野沢直子が病的な部分を増幅したみたいな感じ。 いろいろあった反動での深酒がたたってほとんど肝不全と言ってもいいくらいの肝硬変で、いつ死んでもおかしくないといわれたとのことでした。 2~3年前のこの姿の頃が体調最悪MAXだったようで、飲酒をやめて健康的な食生活に変えた結果、現在はかちかちだった肝臓が柔らかくなってきて、検査の数値も安定してきているということです。 2014年2月に遺言 最後の食卓という闘病生活を記した本を出版していますが、こんなになっちゃった我が身を嘆くでもなくこれまでの人生を淡々と回顧してますから、どこか中村うさぎの開き直り方に通じるものを感じますね。 【若い頃の林葉直子がやったこと】 林葉直子 1968年1月24日福岡市生まれ 現在49歳の元女流棋士です。 11歳で女流アマ名人戦に優勝、小学校在学中に米長邦雄永世棋聖の家に住み込みで弟子入りし、1980年にプロ入り。その後1982年、当時14歳で初タイトルの女流王将となり以後女流王将10連覇の果たしました。女流棋士は絶対数が少なかったというのもありますが、セオリー無視の指し手で勝ち上がる林葉直子を無双の天才と称する人もいたようです。 現在人気の藤井聡太4段が志村けんを知ってるかと尋ねられて「歴史上の人物ですか?」と言ったエピソードがあります。幼い頃から頭角を現す天才棋士というのは世間の俗事には目もくれず、ひたすら将棋道を極めようと突き進んでこそなのかと思いたくなりますが、林葉直子は藤井4段とは真逆のところにありました。 林葉直子はシャープな美人だったことで1980年代後半ごろにはテレビ番組に度々出演して将棋アイドルなどともてはやされるようになりました。アイドルと言ってもにこにこ可愛い顔してるだけのアイドルではなくて、言いたいことをずけずけ言う人だったように思います。 その頃ティーンズ小説がブームになっていました。林葉直子は「試しに書いてみたら書けちゃった」ととんでもポリスシリーズをはじめとするティーンズ小説を量産し、漫画の原作を書き、ドラマに出演したりもしてました。この頃、「ほら、私ってたいていのことが出来ちゃう人だからぁ」と世間の女子から総スカンを食いそうなことをさらっと言ってのけていた記憶があります。 ただ、小説を書き始めた頃の林葉直子は、肝心の将棋の方では連戦連勝という感じではなかったようです。小説書いちゃった♪と言っているとき、「勝てなくなったから作家に転身するんですか?」という質問が飛んでいたことを覚えています。 才能豊な人ではありましたが、エキセントリックな面のほうがクローズアップされがちなところはあります。 その後1994年に「サイババに会いに行く」と言って予定された対局をドタキャン。その後心身ともに疲れたと休養に入りますが翌年の8月に師匠である米長邦夫将棋連盟会長によって追われるように将棋連盟を退会。退会と時を同じくして何を思ったかヘアヌード写真集を出版し、1998年に将棋の中原誠十六世名人とのどろどろ不倫が発覚…というか、自己リークして世間は大騒ぎになります。 そのほかにも2000~2001年頃に豊胸手術を受けてみたり、飲食店を経営するも失敗したり、タロット占い師になってみたり娘の稼ぎを当て込んだ父親が1億2000万円の借金をしたまま亡くなり自己破産などなど…。 やれることはほぼやった感じですが、結婚には縁がなく(というか、女房もちに惹かれる傾向があるらしい)、不倫相手との間に出来た子どもを産まなかったことに若干の後悔があるようです。 スポンサードリンク 【不倫がどろどろになったわけ】 波乱万丈てんこ盛りの林葉直子の人生で、最も人々の記憶に残ってしまったのは中原誠十六世名人との不倫でしょう。 最近になって神吉宏充7段が「自分が林葉直子と中原名人を引き合わせたキューピッド役だった」と告白してましたが、もともと林葉直子は師匠である米長邦雄永世棋聖の最大のライバルでもあった中原名人のファンでした。 神吉7段によると、3人で食事をして林葉直子は中原名人と神吉7段の3人で食事をして、「また3人で会いましょうね~」と言っていたのですが、神吉7段の目の及ばないところで猛アタックをかけていたようです。 数年に及んだ将棋界の不倫関係でしたが、最後は中原名人が半ばストーカー化して「これから林葉邸に突撃しまーす」「お前なんかエイズでも何でもなって死ねばいいんだ!」といった暴言を遺した留守電音声がリークされたことで終焉しました。 未婚女子と既婚男子の不倫は、「なんで奥さんと別れてくれないの!」的泥沼の方が割合としては多いと思いますが、林葉直子の場合は女房もち側が入れ込んでオカシクなったパターンだったようですね。 この音声が公開されてしまったことで中原名人の元に取材陣がおしかけました。中原名人は取材を拒否するでもなく自宅の庭に記者さん達を招きいれ、不倫の事実をあっさり認めました。将棋の名人になるような人の価値観ってどうなってるんだ?と当時話題になったと記憶します。 中原名人はなぜストーカー化するほど林葉直子に入れ揚げてしまったのでしょうか。 具体的な答えはわかりません。ただ、林葉直子の写真集を一度だけ見たことがありますが、写真から匂いがただよってきそうな生々しさがありましたし、現役棋士だった頃から性欲が旺盛だと言ってたことから、中原名人が性的に溺れてしまったんだろうことが推測されます。 一方の林葉直子はそういう中原名人に嫌気が差して別れたくなったけれど、中原名人が執着しまくってこじれた、という図式だったのでしょう。 中原名人と林葉直子は親子ほど年が離れていましたから、不倫は悪いがこのケースはどっちかと言えば中原名人に非があるように思いますが、中原名人はとくにお咎めなし。 1995年に林葉直子が将棋連盟を退会せざるを得なくなった理由として、表向きは対局ドタキャンが大きな原因とされていますが、大変な艶福家(平たく言うと女好き)として知られた師匠の米長永世棋聖がいずれ自分の愛人にと思っていた林葉直子がライバルと不倫をしたことが気に入らなくてクビを切ったそうな、という噂もありました。 若い頃の美人ぶりと病に倒れて老婆のごとくになってしまった姿の落差をみると、本当に同じ人間のビフォーアフターなんだろうかと思ってしまいますが、ジブリ映画に出てくる妖怪みたいなひふみんこと加藤一二三9段がプロデビュー時には紅顔の美少年だったを思うと、人間ってこんなもんかも知れんとも思います。 少しずつ体調が回復してきているという林葉直子。体調が戻ればまた深酒生活に戻るんじゃないかという心配もあるようですが、くれぐれもお大事に、と言いたいですね。 スポンサードリンク