北の湖

相撲人気回復に尽力してきた大相撲の北の湖理事長が九州場所の最中の11月20日夜に大腸がんと多臓器不全で急逝されました。62歳、若すぎる(涙)巨星墜つ、と言う言葉がありますが、北の湖理事長の逝去は時代が突然終わってしまったような衝撃があります。

貧血で緊急入院との発表からたった1日で亡くなってしまった北の湖理事長の大腸がんはいつから?名古屋の寺には石碑も建てられている北の湖の若い頃はどんな横綱だったのでしょう。

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【実は以前から悪かった?】

11月20日朝に病院に運ばれ、両側水腎症という耳慣れない病気で入院と報じられた北の湖理事長。午前中は仕事の段取りを考えたりしていたようですが午後になって急変し、そのまま帰らぬ人になってしまいました。

初日の協会あいさつを腰痛を理由に八角親方が代行し、逝去の3日前には「もう10歩も歩けない」と珍しく弱音を吐いたとされる北の湖理事長。水腎症は腰や背中に痛みが出る病気ですし、最近は付け人の手を借りないと歩くこともままならなかったと言われますから、さぞかし身体が辛かったろうと思います。

理事長としての責任感から身体にムチ打って九州入りしたのでしょうが、こんなことになるなら無理をして欲しくなかった…。

2013年に行なわれた60歳の還暦土俵入のときに、直腸がんを患っていた、と過去形で明かされました。医師の診断は2011年の春に受けていたようで、当時相撲界は八百長問題で存続の危機でしたから、すぐさま療養に入らずに2012年になってから内視鏡手術を受けたようです。

2013年にも大腸ポリープの除去手術を受けたりと、ここ数年は体調が芳しくないことが続いていたようですね。

北の湖理事長のガンについては、初土俵を一緒に踏んだ同じ三保ヶ関部屋の元大関増位山が「実は以前から良くないことは聞いていた」と、訃報を受けて語っていました。今年6月に音羽親方が心臓疾患で急逝しましたが、この頃から北の湖理事長の体調はかなり悪くなっていたようです。

ぽちゃの山
うう…理事長ぉ~(涙)

【北の湖親方の家族は?】

いつ見ても怖い顔で笑うことなんかあるんだろうか??と思っていた北の湖理事長の奥さんは、高級料亭の一人娘だったそうです。現在は、北の湖部屋の女将さんとして弟子衆の面倒を見ています。北の湖の所属は美保ヶ関部屋でしたが、美保ヶ関親方の息子の増位山がいたので部屋の継承のための結婚とは縁がなかったんでしょうね。

相撲取りの息子が角界入りすることは珍しくありませんが、北の湖理事長の息子は北斗潤の名前で俳優をやっているそうです。

【北の湖の若い頃は?】

北の湖の初土俵は1967年、13歳の時でした。初土俵の時から一度も四股名を変えたことがなく、また、横綱時代の功績から一代年寄り北の湖を名乗っているため、北の湖としての相撲人生は、実に50年近いということになります。
今は中学を卒業しないと新弟子検査が受けられませんが、当時は中学校に通いながら土俵に上がる力士もいる時代でした。

ふるさとの北海道壮瞥町は洞爺湖に接して昭和新山と有珠山の二つの火山を擁したところで、小畑敏満少年(北の湖の本名)は有珠の怪童として名をとどろかせていたそうです。(wikiには北海道南部に怪童ありと記されていますが、現役当時は有珠の怪童と呼ばれ の方がよく使われていたように思います)後には「ふるさとにそびえる昭和新山のごとくむくむくと大きくなって」と、よく形容されていました。

19歳で新大関に昇進した北の湖、成人式のときに「オレ、今日から酒やめる」と記者の前で語り話題になりました。今だったら大問題の発言(笑)

kitanoumi

横綱に昇進したのは1974年の秋場所でした。この画像で太刀持ちをしているのは、当時可愛い!と大人気だった同部屋の弟分、闘竜くんであります。懐かしいわ。

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7月の名古屋場所後に昇進の知らせを北の湖は名古屋の宿舎の法持寺で受けました。それを故郷の母親に電話で知らせたときの言葉に、なんとも言えない詩情を感じた住職が、その時の言葉を石碑にして残しました。

横綱昇進時は若干21歳、相撲の世界では最高位でも、母親に対してはただの大きな息子に戻ってしまうんですね。

北の湖

北海道出身の北の湖がなんで関西弁?と誰もが思うようですね。これは推測ですが、北の湖の親方の美保ヶ関親方は兵庫県出身の方です。13歳で上京してきた北の湖は、親方の関西弁が移っちゃったのかもしれません。

現役時代の北の湖は、暇なときはマンガ本を読みふけっていて顔にハエが止まっても気がつかないと言われていました。そのため相撲は強いけどあまり賢くはないらしい、などと思われていたのですが、実際は何年何月の何日目まで答えられるほど自分の取り組みを正確に覚えており、取材する記者を驚かせていたと言われます。

『憎らしいほど強い』とあちこちに書かれていますが、本当にふてぶてしくて憎たらしいほど強かったです。最近の相撲界でふてぶてしい顔といえば松鳳山あたりが番長ですかね。あれくらい土俵の上ではふてぶてしい顔をしていました。

これまで北の湖が可愛い笑顔を見せたところを見たことがないので、普通にしてても怖い顔なんだと思います。

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2006年くらいだったでしょうか、皇室の愛子さまが相撲観戦に国技館にいらしたことがあります。朝青龍を「ダグワドルジ」とお呼びになるほどお相撲好きでいらした愛子さまの後ろで、理事長3期目の北の湖が笑顔をぜんぜん見せなかったことが話題になりましたが、私は北の湖は笑っても顔が怖いから、愛子さまを怖がらせないために笑わなかったんだと思っております。

いつだったか、稀勢の里が白鵬に勝ったとき万歳三唱が起こったことがありました。北の湖の場合は毎場所があんな雰囲気で、さすがに万歳三唱までは起きませんでしたがそれくらい毎場所全取組で「負けろー負けろー」と思われていました。それでもふてくされることもなく、いつも淡々と土俵に上がって情け容赦なく相手をぶん投げていたのですから、たいした精神力です。

北の湖は身体に比べて手が小さかったため、上手廻しをすぐに切られてしまう欠点がありました。ただ、すぐに切られはするけど相手の上手廻しを切るのも上手くて、腰を一振りしただけで切ってみせるのはほとんど名人芸でした。後から思い出してみれば、北の湖ほど強くて上手くてどっしりした横綱はいなかったかも知れません。

引退後は土俵の充実のために奔走しました。相撲界の改革でやり残したことがまだまだあったと思います。こんなに急に旅立つことは、北の湖理事長自身が一番無念だったでしょう。現役時代にあれほど負けろー!と思われながら、こうしてガンに負けてしまったときにぽかっと穴があいたような寂しさを感じさせてしまうのは皮肉なものです。

さよなら北の湖。ご冥福をお祈りいたします。

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ガンに負けて逝去の北の湖理事長の病気はいつから?若い頃のエピソードは?https://i2.wp.com/yonimaji.net/wp-content/uploads/2015/11/kitanoumi2.jpg?fit=500%2C342https://i2.wp.com/yonimaji.net/wp-content/uploads/2015/11/kitanoumi2.jpg?resize=150%2C150アイーダ人物北の湖,理事長,相撲
相撲人気回復に尽力してきた大相撲の北の湖理事長が九州場所の最中の11月20日夜に大腸がんと多臓器不全で急逝されました。62歳、若すぎる(涙)巨星墜つ、と言う言葉がありますが、北の湖理事長の逝去は時代が突然終わってしまったような衝撃があります。 貧血で緊急入院との発表からたった1日で亡くなってしまった北の湖理事長の大腸がんはいつから?名古屋の寺には石碑も建てられている北の湖の若い頃はどんな横綱だったのでしょう。 スポンサードリンク 【実は以前から悪かった?】 11月20日朝に病院に運ばれ、両側水腎症という耳慣れない病気で入院と報じられた北の湖理事長。午前中は仕事の段取りを考えたりしていたようですが午後になって急変し、そのまま帰らぬ人になってしまいました。 初日の協会あいさつを腰痛を理由に八角親方が代行し、逝去の3日前には「もう10歩も歩けない」と珍しく弱音を吐いたとされる北の湖理事長。水腎症は腰や背中に痛みが出る病気ですし、最近は付け人の手を借りないと歩くこともままならなかったと言われますから、さぞかし身体が辛かったろうと思います。 理事長としての責任感から身体にムチ打って九州入りしたのでしょうが、こんなことになるなら無理をして欲しくなかった…。 2013年に行なわれた60歳の還暦土俵入のときに、直腸がんを患っていた、と過去形で明かされました。医師の診断は2011年の春に受けていたようで、当時相撲界は八百長問題で存続の危機でしたから、すぐさま療養に入らずに2012年になってから内視鏡手術を受けたようです。 2013年にも大腸ポリープの除去手術を受けたりと、ここ数年は体調が芳しくないことが続いていたようですね。 北の湖理事長のガンについては、初土俵を一緒に踏んだ同じ三保ヶ関部屋の元大関増位山が「実は以前から良くないことは聞いていた」と、訃報を受けて語っていました。今年6月に音羽親方が心臓疾患で急逝しましたが、この頃から北の湖理事長の体調はかなり悪くなっていたようです。 【北の湖親方の家族は?】 いつ見ても怖い顔で笑うことなんかあるんだろうか??と思っていた北の湖理事長の奥さんは、高級料亭の一人娘だったそうです。現在は、北の湖部屋の女将さんとして弟子衆の面倒を見ています。北の湖の所属は美保ヶ関部屋でしたが、美保ヶ関親方の息子の増位山がいたので部屋の継承のための結婚とは縁がなかったんでしょうね。 相撲取りの息子が角界入りすることは珍しくありませんが、北の湖理事長の息子は北斗潤の名前で俳優をやっているそうです。 【北の湖の若い頃は?】 北の湖の初土俵は1967年、13歳の時でした。初土俵の時から一度も四股名を変えたことがなく、また、横綱時代の功績から一代年寄り北の湖を名乗っているため、北の湖としての相撲人生は、実に50年近いということになります。 今は中学を卒業しないと新弟子検査が受けられませんが、当時は中学校に通いながら土俵に上がる力士もいる時代でした。 ふるさとの北海道壮瞥町は洞爺湖に接して昭和新山と有珠山の二つの火山を擁したところで、小畑敏満少年(北の湖の本名)は有珠の怪童として名をとどろかせていたそうです。(wikiには北海道南部に怪童ありと記されていますが、現役当時は有珠の怪童と呼ばれ の方がよく使われていたように思います)後には「ふるさとにそびえる昭和新山のごとくむくむくと大きくなって」と、よく形容されていました。 19歳で新大関に昇進した北の湖、成人式のときに「オレ、今日から酒やめる」と記者の前で語り話題になりました。今だったら大問題の発言(笑) 横綱に昇進したのは1974年の秋場所でした。この画像で太刀持ちをしているのは、当時可愛い!と大人気だった同部屋の弟分、闘竜くんであります。懐かしいわ。 スポンサードリンク 7月の名古屋場所後に昇進の知らせを北の湖は名古屋の宿舎の法持寺で受けました。それを故郷の母親に電話で知らせたときの言葉に、なんとも言えない詩情を感じた住職が、その時の言葉を石碑にして残しました。 横綱昇進時は若干21歳、相撲の世界では最高位でも、母親に対してはただの大きな息子に戻ってしまうんですね。 北海道出身の北の湖がなんで関西弁?と誰もが思うようですね。これは推測ですが、北の湖の親方の美保ヶ関親方は兵庫県出身の方です。13歳で上京してきた北の湖は、親方の関西弁が移っちゃったのかもしれません。 現役時代の北の湖は、暇なときはマンガ本を読みふけっていて顔にハエが止まっても気がつかないと言われていました。そのため相撲は強いけどあまり賢くはないらしい、などと思われていたのですが、実際は何年何月の何日目まで答えられるほど自分の取り組みを正確に覚えており、取材する記者を驚かせていたと言われます。 『憎らしいほど強い』とあちこちに書かれていますが、本当にふてぶてしくて憎たらしいほど強かったです。最近の相撲界でふてぶてしい顔といえば松鳳山あたりが番長ですかね。あれくらい土俵の上ではふてぶてしい顔をしていました。 これまで北の湖が可愛い笑顔を見せたところを見たことがないので、普通にしてても怖い顔なんだと思います。 2006年くらいだったでしょうか、皇室の愛子さまが相撲観戦に国技館にいらしたことがあります。朝青龍を「ダグワドルジ」とお呼びになるほどお相撲好きでいらした愛子さまの後ろで、理事長3期目の北の湖が笑顔をぜんぜん見せなかったことが話題になりましたが、私は北の湖は笑っても顔が怖いから、愛子さまを怖がらせないために笑わなかったんだと思っております。 いつだったか、稀勢の里が白鵬に勝ったとき万歳三唱が起こったことがありました。北の湖の場合は毎場所があんな雰囲気で、さすがに万歳三唱までは起きませんでしたがそれくらい毎場所全取組で「負けろー負けろー」と思われていました。それでもふてくされることもなく、いつも淡々と土俵に上がって情け容赦なく相手をぶん投げていたのですから、たいした精神力です。 北の湖は身体に比べて手が小さかったため、上手廻しをすぐに切られてしまう欠点がありました。ただ、すぐに切られはするけど相手の上手廻しを切るのも上手くて、腰を一振りしただけで切ってみせるのはほとんど名人芸でした。後から思い出してみれば、北の湖ほど強くて上手くてどっしりした横綱はいなかったかも知れません。 引退後は土俵の充実のために奔走しました。相撲界の改革でやり残したことがまだまだあったと思います。こんなに急に旅立つことは、北の湖理事長自身が一番無念だったでしょう。現役時代にあれほど負けろー!と思われながら、こうしてガンに負けてしまったときにぽかっと穴があいたような寂しさを感じさせてしまうのは皮肉なものです。 さよなら北の湖。ご冥福をお祈りいたします。 スポンサードリンク